日月神社とその周辺

日月神社は遠州森町の天方地区鍛治島に鎮座しています。慶長二十年三月に伊勢から「伊勢躍り」が伝播し内宮、外宮を勧請してお祀りするようになったという棟札が残っています。

日月神社の概要

神社の読み方で少し紹介させていただいたが、当社の特徴から説明させていただく。

神社名    日月神社(ぢつげつじんじゃ) 
鎮座地   静岡県周智郡森町鍛治島五六二

ⅰ江戸時代初頭に伊勢躍りが伝播する
 近世には黨首岩附家を中心として地域の氏神(産土神)である社沢(やしろざわ)大明神をお祀りしていたと伝えられる。
 およそ四百年前の慶長十九年(一六一四年)に伊勢の地から始まったとされる伊勢躍(踊)りが神送りという形で翌年二十年三月に当地にも伝播し、伊勢の神様を勧請して、社壇を建て神事を執り行ったと当社に現存する棟札に記述されている。
 この躍りは西は阿波、土佐、東は駿府にまで波及し、その後元和七年から八年など江戸時代には何度か流行している。この伊勢躍りは現在も四国の一部の地域では神事、民俗芸能として伝承、保存されている。 
 この伊勢躍りの流行を端緒として神名も社沢日月大明神、日月大明神などと変遷し、明治の世になり村社日月神社と称し現在に至る。
 宗教法人としての登記上のご祭神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)であり、門田の八幡社から誉田別命(ほむたわけのみこと)が合祀されている。

ⅱ宮座(頭屋)制度を継承する
頭屋(当屋)が一年神主として祭祀の全てを執り仕切っていたが、現在は祭祀そのものは宮司が執り行うが、それ以外は頭屋が中心になり、頭屋組が全氏子の協力の元に準備を行う。
 頭屋は前年度の頭屋から引き継いだ粟を栽培し粟おこわとして調製し本祭当日に特殊神饌として神前に奉納する。
 撤饌の粟おこわは直会時に氏子に振る舞われる。
 氏子は二十人黨と言われる世襲により受け継がれた大当(本年度頭屋、宮司、氏子総代、町内会長も含む)とそれ以外の小当により構成されるが頭屋は全氏子から過去の順列によって決められる。
 本祭終了後に庁屋において黨主以下二十人黨による頭渡し式において、頭屋の引き継ぎがなされ、黨主からその証として台に幣の付いた榊を授かりそれを自宅床の間に安置し一年間潔斎する。安置してあった榊は次年の本祭当日黨主に返還する。

日月神社の概要
本祭終了後粟おこわが振る舞われます

日月神社の概要
これが粟おこわです



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